ローマから行ける世界遺産
旅行の面白みといえば、日本では見ることができない景色に出会うこと。 その最高峰が「世界遺産」だ。ローマから行ける世界遺産は全部で7箇所。 ローマに来たら是非足を伸ばしてみたいところだ。
【イタリア】ローマのお勧め定番観光スポット10選
初めてローマに訪れるなら、まずはこの定番スポットをチェック♪ 絶対行くべき定番スポットを厳選しました。
イタリアの世界遺産
旅行の面白みといえば、日本では見ることができない景色に出会うこと。 その最高峰が「世界遺産」だ。イタリアには約50箇所の世界遺産が登録されている。 多くの世界遺産があるイタリア。仕事などで定期的に訪れている人を除いて、滅多にこれない国なので、なるべくたくさんの世界遺産に訪れたいものだ。
アッピア旧街道周辺×観光
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カラカラ浴場
古代ローマの公衆浴場の遺跡
カラカラ浴場は古代ローマの大温泉施設の遺跡。敷地は長さ225メートル、幅185メートル、高さ38.3メートルと広大で、温浴層、熱浴槽、寒浴槽を含む温泉施設だけではなく、庭園、遊戯施設、図書室等を併設。寒い時期には床暖房も完備されていた、古代ローマ最大の娯楽施設であった。現在、屋根は残っておらず吹きさらしとなっているが、石造りの壁と当時浴場内にあったカラフルな…
アッピア旧街道
最も有名なローマ街道のひとつ
ローマ帝国時代に「全ての道はローマに通ず」の言葉に基づき築かれた街道の中で現存する最も有名な石畳舗道のひとつ。 ローマから南東に一直線に伸びる。「街道の女王」の異名を持つ。 1784年に旧街に平行して新しいアッピア街道が平行して作られたため、以来アッピア旧街道と呼ばれるようになった。
サン・セバスティアーノ門
今なお残る巨大なローマ時代の城壁
サン・セバスティアーノ門として知られる旧アッピア門は、アウレリアヌス城の城壁に用いられていた城門である。 アウレリアヌス城壁は、271年から275年、アウレリアヌス帝とプロブス帝の時代に造られた。
ドミネ・クォ・ヴァディス教会
キリストと弟子のペテロが最後に会った場所
教会名となっている「ドミネ・クオ・ヴァディス」は、ラテン語で「主よ、どこへ行かれるのですか」という意味がある。 伝説では、キリストと弟子のペテロが最後に会った場所として知られている。
サン・カッリストのカタコンベ
初期キリスト教徒の共同埋葬所「カタコンベ」
カタコンベとは、帝政ローマ時代の初期キリスト教徒の共同埋葬所である。 ローマ市周辺のカタコンベは約60カ所あり、そのうち5ヶ所が一般公開されている。 「サン・カッリストのカタコンベ」は、地下四層からなり、迷路のような細い道が全長20キロメートル以上続いている。 約10万人が祀られており、 1854年にデ・ロッシによって発見された 「教皇の地下室墓」には3-…
サン・セバスティアーノ聖堂
聖セバスティアヌスを祀る「サン・セバスティアーノ聖堂」
ローマの7大バジリカ(聖堂)の1つ。 4世紀前半に使徒ペテロとパウロに捧げられた教会である。 地下には全長12キロメートルのカタコンベがあり、 約6,5000人以上が葬られている。 一時、使徒2人も埋葬されていた。 現在の建物は、17世紀シピオーネ・ ボルゲーゼ枢機卿の命で、建築家パッラーディオとベネチア派の画家パオロ・ヴェロネーゼにより改築された。
ドミティッラのカタコンベ
ローマの最大のカタコンベ「ドミティッラのカタコンベ」
ドミティラのカタコンベはローマの最大のカタコンベである。 内部には地下聖堂があり、中世まで殉教者ネレウスとアキレウスの墓で巡礼聖域の中心地だった。 ネレウスとアキレウスは法廷付きの近衛兵であったが、何らかの理由により冷酷な任務を課せられたため、職務を辞め殉教したと伝わる。
マクセンティウスの競技場
幻の戦車競技場「マクセンティウスの競技場」
ローマ市民によって擁立されたマクセンティウス帝の四分統治時代(306年-312年)に建築された。 古代ローマで戦車競走が行われた競技場(キルクス)で戦車競技場の遺跡としては保存状態が最良である。
ロムルスの廟
ロムルス一族が眠るロムルスの廟
円形の建物内の墓室にはロムルス一族の遺骨が納められている。 ウァレリウス・ロムルスは、308年309年にローマ帝国の執政官として活躍した。 父は後の皇帝マクセンティウス、母親は皇帝ガレリウスの娘ウァレリア・マクシミラ。祖父は、マクシミアヌス帝。 306年に父・マクセンティウスがローマ皇帝となった。 308年には父と共に執政官になり、310年には単独で執政官と…
チェチーリア・メテッラの墓
アッピア街道沿い最大の遺構「チェチーリア・メテッラの墓」
名門貴族出身のチェチーリア・メテッラの墓である。 アッピア街道沿いに残された遺構の中で最大規模を誇る。 円筒形の建物で上部には帯状装飾(フリーズ)も伺える。 チェチーリア・メテッラは、第一次三頭政治家の1人、クラッススの妻であったと伝わる(クラッススの息子・クラッススの妻だったという説もある)。