ローマ中心地外×近世以降の建築物
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エウル
ローマ33番目の新都市「エウル」
1930年代に造成された新しい地区。ファシスト党のムッソリーニが、1942年に開催される予定であったローマ万国博覧会の開催に向けてローマ近郊に建設した新都市である。この博覧会自体は第二次世界大戦の為中止となった。Esposizione Universale di Roma(ローマ万国博覧会)の頭文字をとってEUR(エウル)と読む。
サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂
五大聖堂の一つで使徒パウロの聖堂
ローマの五大聖堂の一つであるこの聖堂は、コンスタンチン帝によってキリストの12使徒の一人である聖パウロの墓として建設されたとされる。 また現在はバチカンによって管理されている。 名前を直訳すると、壁の外にある聖パウロの聖堂 という意味である。 その壁とはローマの市壁のことで、市壁の外にあるので、結果的に幾度もローマに侵略してきた兵隊によって破壊されてきた。 …
フォロ・イタリコ
ムッソリーニのファシスト時代の建築物
複合スポーツ施設で1928年に着工し、1938年に完成した。 エンリコ=デル=デッビオとルイジ=モレッティの設計により、建造され、イタリア合理主義建築を代表する建築の1つに数えられる。 ムッソリーニのファシスト時代の代表的建築でもあり、当初は、フォロ・ムッソリーニ(ムッソリーニのフォーラム)と呼ばれていた。 第二次大戦後に現在の名称に変更された。 敷地内には…
プリシッラのカタコンベ
初期キリスト教時代の地下墓所
カタコンベとは地下にある墓所のことで、2世紀末-4世紀後半にかけて各地に盛んに作られた。死後の魂の救済を願った絵が壁や天井に残されている。 プリシラのカタコンベでは、初期のキリスト教の時代に迫害された殉教者たちの墓が保存されており、13キロメートルにも及ぶ地下のギャラリーには、2世紀頃のものとみられる聖母子や3世紀後半と見られる羊飼いの姿がフレスコ画に描かれ…
サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会
ドーム建築の基本となった、テンピエット
サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会は、9世紀に建てられた教会である。 聖ペトロが十字架に架けられた場所とされるローマのジャニコロの丘に位置しており、殉教の場所とされている。 この教会には優れた美術品が所蔵され、かつてはラファエロの絵画も所蔵されていた。
サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂
ローマ最古の教会のひとつ
ローマの下町トランステヴェレ地区に現存する創建教皇カリクストゥス時代221年のローマの中でも最も古い教会の一つである。 4人の聖人とファザード上部のモザイク画「玉座の聖母子」を中心に左右一列に並んだ10人の聖女が目印だ。 毎日にサミが行われ、比較的遅くまで空いているというもの特徴だ。
国立コルシーニ宮美術館
15世紀に建てられたコルシーニ宮殿
トラステヴェレ地区、セッティミアーナ門を通り抜けたところ、ファルネジーナ・キージ荘の向かいに位置する、15世紀に建てられた高貴バロック様式の宮殿。 現在は2階が国立美術館となっているが、イタリア科学アカデミー・アッカデーミア・デイ・リンチュイの本部もある。
サンタ・チェチーリア・イン・トラステヴェレ教会
聖チュチリアの眠るサンタ・チェチリア・イン・トラステヴェレ教会
ローマの下町トラステヴェレ地区にある鐘楼が傾いている教会。 オレンジとピンクで可愛らしい壁が目印の3廊式のバジリカ形式だ。この教会は音楽の守護聖人チェチリアを称え、彼女が住んでいた家の跡地に4世紀末に建築された。 その後820年にローマ教皇パスカリス1世が壮麗に立て替えを行い、1599年に再度スフォンドラーティ枢機卿によって改築された。
サンタニェーゼ・フオーリ・レ・ムーラ教会
ビザンチン建築の小聖堂
セントアグネス聖堂というのはローマにあるキリスト教の小聖堂である。 キリスト教の行政単位である、大司教区、司教区、教区より小さい小教区を管轄する小聖堂である。 この小聖堂はローマ帝国のコンスタンチン一世の娘、コンスタンティーナによって建設された聖堂であり、セントアグネスという13才で死亡した少女のために341年に建設された。 建設当初はローマの市壁の外に建て…
サンタ・コスタンツァ教会
コンスタンティヌス1世の娘のための教会
サンタ・コスタンザはローマにある4世紀に建設されたローマにある教会である。 元々は、これはローマ帝国のコンスタンティヌス1世が娘のコンスタンティーナのために、彼女が生きているうちに建設した霊廟であった。