コロッセオ周辺×ローマ時代の建築物
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コロッセオ
世界遺産、ローマ帝政期の円形闘技場
ローマを代表する観光地で、建設者がフラウィウス朝の皇帝であることから建設当時の正式名書はフラウィウス円形闘技場。 紀元前72年に建設されたコロッセオは、高さ48メートル×長径188メートル×短径156メートルの周囲527メートルの楕円形で約50,000人を収容できたとされる。
真実の口
「ローマの休日」に登場した真実の口
古代の井戸の蓋、マンホールの蓋といわれ、映画「ローマの休日」名シーンでも有名な「真実の口」を柱廊の端に持つサンタ・マリア・イン・コスメディン教会。 6世紀頃食品市場であった場所に建てられた教会を、8世紀法王ハドリアヌス1世が迫害から逃れてきたギリシャ人修道士のために改築した。 その後も増築、破壊、改修等が繰り返されたが、現在は典型的なバシリカ建築で鐘楼はロマ…
フォロ・ロマーノ
古代ローマの政治・経済・宗教の中心地
フォロ・ロマーノはコロッセオの西方、徒歩12分の位置にある正方形の広場。敷地は南西約100メートル×約東西300メートルに及び、周囲には古代ローマの遺跡が立ち並ぶ。1980年、ローマ歴史地区として教皇領サンパオロ・フォーリ・レ・ムーラ教会とともに世界文化遺産に登録された。歩き回って各遺跡を見学することになるので、歩きやすい靴と飲み物の用意は必須。また、各遺跡…
パラティーノの丘
ローマ人が憧れた高級住宅パラティーノの丘
パラスティーノは西にテヴェレ川の流れを見下す切り立った丘である。 その名は牧畜の守護神パレスに由来し、彼女を祝う大古の祭日パリリアにあたる4月21日はローマの建国記念日となっている。 古代ローマの政治経済の中核となったフォロ・ロマーノの南側に位置するパラティーノの丘は共和制時代から帝政時代にかけて貴族や有力者の住む住宅地であった。 フォロ・ロマーノに比べると…
コンスタンティヌスの凱旋門
パリの凱旋門のモデルになった凱旋門
コンスタンティヌスの凱旋門は円形闘技場コロッセオとフォロ・ロマーノ、パラティーノの丘の間に位置する、高さ21メートル、ローマ最大の凱旋門である。 312年、西ローマ帝国のコンスタンティヌが正帝マクセンティウスに勝ったミルヴィオの戦いの勝利を称え、315年ローマ元老院と市民が建てたものである。
ドムス・アウレア
消されたネロの黄金宮殿
ローマ帝国第5代皇帝ネロが建設した「黄金宮殿」ドムス・アウレアの遺跡である。 80ヘクタールの土地に建てられた贅を尽くした宮殿であった。 54年に即位したネロは、パラティーノの丘の宮殿を拡張して住んでいたが、往時、市民の家の多くが木造であった。 部下に新たな宮殿の造営を命じた後に、64年に大火災が起こり、ローマ市街が焦土と化した後に建設されたことで、元老院や…
チルコ・マッシモ
古代ローマ最大の競技場
チルコ・マッシモとは古代ローマ時代に建設された競技場のことである。直訳すると最大級の周回路である。 アヴェンティーノの丘とパラティーノの丘の間に所在し、古代ローマでは最大のものであった。長さは621メートル、横幅118メートルで、1万5千人の人を収容できたとされる。 現在は市民が利用できる広場となっており、誰でも入ることができる市民の憩いの場となっている。
ピラミデ
街の中に存在するピラミッド
この、ローマの町中に突如と出現するピラミッドは紀元前12年にガイウス・ケスティウスによって建設された。 そして後に、271年から275年の間に建設された、ローマを囲むアウレリアヌスの市壁に組みこまれ、現在のような形となった。
フォーリ・インペリアーリ
歴代皇帝を偲ぶフォーリ・インペリアーリ
「諸侯の造った公共広場」の意味をもつ「フォーリ・インペリアーリ」。 人口の増加により、従来のフォロ・ロマーノは手狭になったため、紀元前54年に当時の皇帝カエサルが私財を投じて、列柱で囲まれた「カエサルのフォロ」を造ったのが始まりである。 続いて、アウグストゥスをはじめとする歴代の皇帝がフォロを造営し、「フォーリ・インペリアーリ」ができあがった。
マルケッルス劇場
コロッセオより古い古代の劇場
共和政ローマ末期からローマ帝国初期にかけて建設された劇場。 マルッチェロ劇場とも呼ばれる。一見コロッセオのようなその外観は、実際コロッセオよりも前に建設されコロッセオ建築の手本となったとも言われている。 カエサルが着工したが建設開始前に暗殺され、皇帝アウグストゥスが引き継ぎ紀元前13年に完成させた。