ローマ時代の建築物
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ピンチアーナ門
アウレリアヌス城壁の出入り口
ヴェネト通りを上りきった所に位置するのがピンチアーナ門。 271年着工の蛮族の攻撃や侵入を防ぐために造られた、高さ約6.5メートル×厚さ3.5メートル×長さ19キロメートル弱のアウレリアヌス帝の城壁の北側出入り口のことである。 ピンチアーナまたはピンチャーナと表記される。
オッタヴィアの列柱
総大理石の神殿の面影を残す列柱
オッタヴィアの列柱(オッタヴィーアのポルティコ(アーケード))は、紀元前23年にアウグストゥス帝が妹のために建てた建造物で、マルクス劇場の北側に位置している。一度は火災で消失しており、現在のものは203年に復元されたものであるため損傷が激しい。
サン・セバスティアーノ門
今なお残る巨大なローマ時代の城壁
サン・セバスティアーノ門として知られる旧アッピア門は、アウレリアヌス城の城壁に用いられていた城門である。 アウレリアヌス城壁は、271年から275年、アウレリアヌス帝とプロブス帝の時代に造られた。
マクセンティウスの競技場
幻の戦車競技場「マクセンティウスの競技場」
ローマ市民によって擁立されたマクセンティウス帝の四分統治時代(306年-312年)に建築された。 古代ローマで戦車競走が行われた競技場(キルクス)で戦車競技場の遺跡としては保存状態が最良である。
ロムルスの廟
ロムルス一族が眠るロムルスの廟
円形の建物内の墓室にはロムルス一族の遺骨が納められている。 ウァレリウス・ロムルスは、308年309年にローマ帝国の執政官として活躍した。 父は後の皇帝マクセンティウス、母親は皇帝ガレリウスの娘ウァレリア・マクシミラ。祖父は、マクシミアヌス帝。 306年に父・マクセンティウスがローマ皇帝となった。 308年には父と共に執政官になり、310年には単独で執政官と…
チェチーリア・メテッラの墓
アッピア街道沿い最大の遺構「チェチーリア・メテッラの墓」
名門貴族出身のチェチーリア・メテッラの墓である。 アッピア街道沿いに残された遺構の中で最大規模を誇る。 円筒形の建物で上部には帯状装飾(フリーズ)も伺える。 チェチーリア・メテッラは、第一次三頭政治家の1人、クラッススの妻であったと伝わる(クラッススの息子・クラッススの妻だったという説もある)。
クインティーリ荘
ローマ郊外で最も広く豪華であった邸宅跡
151年頃、 第16代ローマ皇帝マルクス·アウレリウス帝が治めていた時代、 貴族のクインティーリ(クインティリアヌス)兄弟が建てた邸宅。 アッピア新街道と旧街道の間に位置し、かつては、ローマ郊外で最も広く豪華な住まいと言われた。 クインティーリ(クインティリアヌス)は、ローマ帝国の修辞(レトリック)学者である。その後、ネルウァ=アントニヌス朝最後の皇帝コンモ…