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英語、イタリア語、フランス語、スペイン語
ローマ市民によって擁立されたマクセンティウス帝の四分統治時代(306年-312年)に建築された。
古代ローマで戦車競走が行われた競技場(キルクス)で戦車競技場の遺跡としては保存状態が最良である。
西端に2つの塔、東端に凱旋門、出走ゲートであるカルケレスの土台、回廊、離宮と結ばれていた皇帝閲覧席プルウィナル、ゴール地点に位置した審判席、東端に凱旋門などの遺跡が残されている。
全長513メートル、幅92メートルでチルコ・マッシモに次いで2番目に大きい。
トラックの中央分離帯の長さは296メートルで、ドミティアヌス帝が建てたイシス神殿からエジプトの御影石の記念碑(オベリスク)が中心に移設されていた。
後に、記念碑は、17世紀半、彫刻家ベルニーニがナヴォーナ広場(ドミティアヌスの競技場跡)の四大河の泉に移された。
競技場は、アッピア街道に対して斜めに位置する。
これは、北側にある皇帝閲覧席から、マクセンティウス帝が円筒形のモニュメントを正面に眺めるために造られたと伝わる。
しかしマクセンティウスの統治期間は短く、競技場は早逝した息子ロムルスの葬儀が行われたのみであった。戦車競走は一度も催されず、工事半ばで放棄されたと伝わる。
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