観光
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コンスタンティヌスの凱旋門
パリの凱旋門のモデルになった凱旋門
コンスタンティヌスの凱旋門は円形闘技場コロッセオとフォロ・ロマーノ、パラティーノの丘の間に位置する、高さ21メートル、ローマ最大の凱旋門である。 312年、西ローマ帝国のコンスタンティヌが正帝マクセンティウスに勝ったミルヴィオの戦いの勝利を称え、315年ローマ元老院と市民が建てたものである。
ドムス・アウレア
消されたネロの黄金宮殿
ローマ帝国第5代皇帝ネロが建設した「黄金宮殿」ドムス・アウレアの遺跡である。 80ヘクタールの土地に建てられた贅を尽くした宮殿であった。 54年に即位したネロは、パラティーノの丘の宮殿を拡張して住んでいたが、往時、市民の家の多くが木造であった。 部下に新たな宮殿の造営を命じた後に、64年に大火災が起こり、ローマ市街が焦土と化した後に建設されたことで、元老院や…
ボルゲーゼ公園
ローマ人が休日を過ごす元ヴィラの庭
ボルゲーゼ公園はローマで2番目の広さ(約80ヘクタール)を持つ公園である。 元々はシピオーネ・ボルゲーゼ卿がローマ郊外に建てた美術品所蔵用のヴィラの庭園であった。 19世紀にはブドウ畑からイギリス式庭園に作り替えられ、20世紀に入ってからローマの自治体によって買い取られ、公園となった。 1911年には際美術博覧会が行われるにあたって美術館や動物園が建てられ、…
サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂
五大聖堂の一つで使徒パウロの聖堂
ローマの五大聖堂の一つであるこの聖堂は、コンスタンチン帝によってキリストの12使徒の一人である聖パウロの墓として建設されたとされる。 また現在はバチカンによって管理されている。 名前を直訳すると、壁の外にある聖パウロの聖堂 という意味である。 その壁とはローマの市壁のことで、市壁の外にあるので、結果的に幾度もローマに侵略してきた兵隊によって破壊されてきた。 …
ベネチア広場
トリコロールカラーのベネチア広場を渡れるか
ローマ旧市街の中心に位置し、各方面へ延びる道路が集中する地点でもあるベネチア広場。 広場の中央は緑の芝生になっていて、正面には白亜のヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂と、その西側には初期ルネサンス様式のレンガ色のベネチア宮殿が配置され、そのコントラストがトリコロールカラーのようで美しい。
チルコ・マッシモ
古代ローマ最大の競技場
チルコ・マッシモとは古代ローマ時代に建設された競技場のことである。直訳すると最大級の周回路である。 アヴェンティーノの丘とパラティーノの丘の間に所在し、古代ローマでは最大のものであった。長さは621メートル、横幅118メートルで、1万5千人の人を収容できたとされる。 現在は市民が利用できる広場となっており、誰でも入ることができる市民の憩いの場となっている。
ピラミデ
街の中に存在するピラミッド
この、ローマの町中に突如と出現するピラミッドは紀元前12年にガイウス・ケスティウスによって建設された。 そして後に、271年から275年の間に建設された、ローマを囲むアウレリアヌスの市壁に組みこまれ、現在のような形となった。
カピトリーニ美術館
ローマを知るために必見のカピトリーニ美術館
決して魅力を枯らすことがない「永遠の都」ローマには7つの丘がある。 今も遺構が残り、古代ローマの政治、経済、宗教の中心地だったフォロ・ロマーノに近い聖地カンピドーリオの丘には世界最古の美術館「カピトリーニ美術館」が建つ。古代以来のローマ彫刻からルネッサンスまで多数の美術品を収蔵する美術館は、1471年シスト4世がローマ市民に贈ったブロンズ像をベースにして創設…
ティヴォリ
ローマ郊外にある自然豊かな保養地
ローマの東、約30キロに位置する人口5万6000人の町。紀元前1215年にその起源をさかのぼる。 温暖で、緑が美しい風光明媚な土地は、皇帝や貴族たちの保養地として好まれてきた。 そうした背景から、上流階級の別荘(ヴィラ)の建築物が残っており、中でも、ヴィッラ・アドリアーナ、ヴィッラ・デステという二つの別荘はユネスコ世界遺産として登録されている。
ジェズ教会
フランシスコザビエルの遺体の一部が眠る
ヴェネチア広場の近くに建ち、イエズス会の母教会だったジェズ教会は、日本と所縁の深いフランシスコ・ザビエルが眠っている