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観光
72件
オーニッサンティ教会
ギルランダイヨの壁画「最後の晩餐」のある教会
フィレンツェの入り口サンタ・マリア・ノッヴェラ駅からわずか徒歩1分の立地にあるオーニッサンティ教会には、壁画「最後の晩餐」がある。 この「最後の晩餐」はギルランダイヨの作品だが、ミラノのレオナルド・ダ・ヴィンチの作品に影響を受けたとされており、教会付属の食堂に書かれているという点も同じである。完成度は高く保存状態も良い。
サン・ジョヴァンニ・フオルチヴィタス教会
一面いっぱいに広がる縞模様の美しい教会
フィレンツェ郊外北西部にあるピストイアにあるは、その外観を飾る一面いっぱいの縞模様が美しい。ピストイアの町にはこのようなストライプ柄のロマネスク建築が多く見られるが、その中でも1番の規模である。
サン・サルヴァトーレ・アル・モンテ教会
「美しい田舎娘」と呼ばれた教会
ミケランジェロ広場とサン・ミニアート・アル・モンテ教会の間に位置するサン・サルヴァトーレ・アル・モンテ教会は、あのミケランジェロから「美しい田舎娘」と称したことで有名だ。 その立地と名前から、サン・ミニアート・アル・モンテ教会と間違われやすいのだが、全く違う2つの教会だ。 この「美しい田舎娘」と称されたサン・サルヴァトーレ・アル・モンテ教会はミケランジェロ広…
サン・ミケーレ・ヴィスドミニ教会
ドゥオモを望む通り沿いに建つ、小さな魅力ある教会
フィレンツェのドゥオーモからセルヴィ通りをまっすぐに進むと、マウリーツィオ・ブファリーニ通りとの交差点の右手にサン・ミケーレ・ヴィスドミニ教会の小さな建物がある。 ヴィスドミニ教会は、11世紀ヴィスドミニ家によって拡張された古い教会が起源であると言われている。 1363年に解体され、現在の場所に再建された。後に、バルトロメオ・アンマナーティがファサードを作っ…
サンタ・マリア・マッダレーナ・デ・パッツィ修道院
パッツィ家出身の聖人とペルジーノのフラスコ画
貴族出身のマリア・マッダレーナ・デ・パッツィ(ルクレツィア・デ・パッツィ、俗称カテリーナ)は、17歳のときに若くしてカルメル会に入信。 20年間祈りの日々を生き、生前すでに「聖人」として人々の尊敬を集めていたという。 1607年に亡くなり、1669年に公式に聖人となる。現在の地にカルメル会の修道院が移転し、彼女の名を冠したサンタ・マリア・マッダレーナ・デ・パ…
サンタ・トリニタ教会
ブランド街に建つ歴史ある教会と、趣のある礼拝堂
サンタ・トリニタ教会は、ブランド街として有名なトルナブォーニ通りのサンタ・トリニタ広場、フェラガモ本店の向かいにある。 11世紀に創設され13世紀に再建、16世紀になってベルナルド=ブォンタレンティがファサード(建物の正面のデザイン)を手掛けた。
ルチェッライ宮
フィレンツェの権力者、ルッチェライ家の繁栄の面影を見る
カッライア橋を渡り、カルロ・ゴルドーニ広場から東の方に伸びるヴィーニャ・ヌオーヴァ通りに面して、ルッチェライ宮がある。 赤い染料を発見したことで大儲けして財を成したルッチェライ家は、フィレンツェで最も有力な一族の一つであった。
パッツィ・クァラテージ宮
フィレンツェの歴史を彩るパッツィ一族が残した住居跡
パッツィ家はフィレンツェの古い家系で、メディチ家のライバルでもあった。 フィレンツェでの支配権をめぐって両家は争いを繰り広げ、ついに、パッツィ家の陰謀と呼ばれる事件が起こる。 フランチェスコ・デ・パッツィがメディチ兄弟を襲撃し、弟のジュリアーノを殺害。 これに対し、パッツィ家は100人以上が処刑されるという報復を受ける。 ここからさらに、ナポリ王国を巻き込ん…
ポッジョ・ア・カイアーノ
メディチ家の別荘と庭園ポッジョ・ア・カイアーノ荘
フィレンツェから西へ約20キロメートルの郊外に位置するのが、メディチ家の別邸ポッジョ・ア・カイアーノ荘。 フィレンツェからバス1時間程度でアクセス可能。 この別荘は周辺に広がる緑地よりも、邸宅そのものに見どころがある。というのも、ポッジョ・ア・カイアーノ荘は数あるメディチ家邸宅の中でも珍しく建物内に入場することができる邸宅なのだ。 内部の一部には博物館となっ…
ピストイアのサンジョバンニ洗礼堂
モダンな外装とシンプルな内装が印象的な、14世紀のゴシック建築の洗礼堂
ドゥオモ広場に建つ八角形の建物が、ピストイアの洗礼堂と呼ばれるサン・ジョヴァンニ洗礼堂である。 洗礼者ヨハネ(イタリア語でジョヴァンニ)に捧げられた洗礼堂は、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に付属する聖ジョヴァンニ洗礼堂と同じ八角形。