ミュージアム
29件
イーストサイドギャラリー(ベルリンの壁)
118名のアーティストによって壁に映し出された、「自由」の渇望
博物館島からシュプレー川を東に行くとミューヘン通りに巨大なベルリンの壁が残っている。 その長さは1.3キロメートルにも及び、21ヵ国、118名ものアーティストによって一面壁画が描かれている。 数々の作品の中で最も目をひくのが「独裁者のキス」と呼ばれるキスシーンだ。 しかもキスしている二人は旧ソ連のブレジネフ書記長と旧東ドイツのホーネッカー書記長だ。
森鴎外記念館
ドイツで触れる日本文学
ベルリン中央駅からフリードリッヒ通り駅へ抜ける電車の車窓から見える「鴎外」の文字。 知らずに見た日本人ははからずも驚くことだろう。 著書「舞姫」の舞台になったこの土地は、森鴎外が滞在していたことでも知られる。 ベッド、机、洗面道具やタンスなど当時の部屋を再現した記念館の館長は日本人の女性。 非常に丁寧な対応をしてくれる
ペルガモン博物館
世界遺産、博物館島を代表する歴史の貯蔵庫
世界遺産に登録されている博物館島において最も人気があるのがペルガモン博物館だ。 この地域は19世紀にプロイセン王フリードリッヒ・ヴィルヘルム3世の「芸術と科学のための地域」をつくる、という号令のもと、次々と巨大な博物館がつくられていった。
ベルリン・ユダヤ博物館
精神的に、肉体的にホロコーストの意味を探求する
ユダヤ博物館はポーランド生まれのユダヤ系アメリカ人建築家ダニエル、リベスキンドにより設計されており、独特な、引き裂かれたような外観、上空から見るとより際立つジグザグにくねった建物、地下からしか入れない入り口の構造などあらゆる面で異彩を放っている。 多くの博物館と対照的にこのようなつくりになったのは、リベスキンドのメッセージによるものだ。
映画博物館
「メトロポリス」「嘆きの天使」を始め、濃縮されたドイツ映画の歴史がここに
ポツダム広場のすぐ近くに位置するこの博物館はドイツ映画の歴史、ドイツテレビの歴史と大きく二つの軸で構成されている。そのボリュームは相当なもので、ひとつひとつを見ているとかなりの時間を要する。 無声映画にはじまり現代に至るまで各時代の脚本、撮影道具、女優たちのコスチュームなど映画ファンであればまじまじと見たくなるようなものが揃っている。
ホロコースト記念碑
2711本の無機質な石碑群に、21世紀の平和を考える
厚み95センチ、横幅23.8メートル、高さ4.5メートルの石碑が一面に広がる無機質な広場。 その広さ、1万9073平方メートル、石碑の数は2711本。 ニューヨークの作家ピーター、アイゼマンによって作られたこのモニュメントは、触ると不思議な弾力がある。 まるで迷路のようにグリッド上に張り巡らされた空間を歩くと、いかに多くの、そして大人から子供まで様々な命が奪…
ベルリン絵画館
13世紀-18世紀のヨーロッパ芸術の貯蔵庫
ポツダム広場の西、ティーアガルテン地区の文化フォーラムに位置するこの絵画館はベルリン美術館を構成する美術館の一つ。 1830年に開館され、1998年に新築されている。 貯蔵されている作品群は錚々たるもので、アルブレヒト・デューラー、ルーカス・クラナッハ、ヤン・ファン・エイク、ラファエロ、ティツィアーノ、カラヴァッジオ、ピーテル・パウル・ルーベンス、レンブラン…
ドイツ技術博物館
戦時中に使われた生々しい機械に触れられるドイツの技術を結集した博物館
鉄道をはじめとして、ドイツの工業技術の歴史をまとめて見ることができる博物館。 設立は1982年で最近では海事、航空の展示ホールもオープン。 蒸気機関、第二次世界大戦の時代に使われていた戦闘機、そのエンジンなどの展示は目を見張る。
東ドイツ博物館(DDR博物館)
東ドイツ時代の民衆の暮らしを保存した博物館
DDRとはDeutsche Demokratische Republik(ドイツ民主共和国)の略で、通称東ドイツのこと。 第二次世界大戦の後の1949年以降ソ連に占領されたこの地域は1990年にドイツ連邦共和国に統合された。
ザクセンハウゼン強制収容所
全強制収容所のフラッグシップに残された陰惨な過去
1933年に設立された「オラニエンブルク収容所」は、1936年に整備され「ザクセンハウゼン強制収容所」と改名された。 ここはナチス・ドイツの勢力下にある全収容所の本部だ。 ザクセンハウゼン強制収容所を手本にして各地の収容所のオペレーションが構築されていった。