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ベトナムの世界遺産
旅行の面白みといえば、日本では見ることができない景色に出会うこと。 その最高峰が「世界遺産」だ。ベトナムには全部で8つの世界遺産が登録されている。 ベトナムの観光スポットといえば、どうしてもホーチミンを連想してしまいがちだが、残念なことにホーチミンを含めたベトナム南部には、世界遺産が1つもない。 基本的にベトナムの世界遺産は北部もしくは中部に集中しており、ホ…
【ハノイのホテル】避けるべき危険地区の解説・お勧めホテル紹介
世界有数の観光地であるハノイだが、一つエリアが変わると危険地域などもあるため注意が必要だ。ホテル選びをするうえで絶対に避けた方が良い危険エリアと、観光拠点としてお勧めのエリアについて解説する。
ハノイの名物料理10選!お勧めグルメ旅
ベトナムの北部最大の都市でもあり、同国の首都がある街ハノイ。ここは、政治と文化の中心地として古代より栄えてきた街だ。古くは7世紀ごろから、中国南部の都市と南シナ海を結ぶ、海上交易の要所としても知られてきた。その後、フランスの統治下におかれていた時代もあることから、様々な文化が融合する魅力的な街だ。中国の雰囲気を色濃く残した旧市街地と、フランス風の建物が混在す…
ハノイのお勧め定番観光スポット10選
初めてハノイに訪れるなら、まずはこの定番スポットをチェック♪ 絶対行くべき定番スポットを厳選しました。
ハノイ旅行6泊7日の予算とモデルプラン
ハノイ旅行をする場合の、お手頃プランと平均予算プランのおすすめモデルコースを紹介する。ハノイでは、ベトナム戦争時代に使用されていた戦車など、貴重な歴史的展示物が見学できるベトナム軍事歴史博物館。古代から近代までの美術品や芸術品が展示されている、ベトナム国立美術博物館などベトナムの歴史的背景を知ることができるスポットや、シルク製品、バッグや布小物などのショッピ…
【205ツアーから厳選】満足度の高いおすすめハロン湾ツアー10選
満足度の高いハロン湾ツアーに参加しよう!
世界遺産に登録されているハロン湾は、ハノイから個人でアクセスすることは困難なため、多くのツアーが催行されている。ここでは、HowTravel編集部が205ツアーの中から厳選した本当に満足度の高いツアーを紹介する。
ハノイ近郊
7件
カットバ島
自然豊かな島でのんびり過ごす
バイチャイから南へ約10キロメートル行ったところに位置する島。 面積は約354平方キロメートル。 ハロン湾に存在している大小366の島の中で最も大きな島である。 島とその周辺は自然豊かで、亜熱帯紅葉樹林、淡水の湿地林、マングローブ林、サンゴ礁、砂浜などがあり、トレッキングや海水浴、サイクリングなどしながらのんびり過ごすことができる。
コーロア
他国に侵略される以前のベトナムの姿
ハノイ北北東約10キロメートルのところに位置する、ベトナムに現存する最古の城跡。 東南アジアに現存する城跡のうち、最大かつ最古のものといわれている。 もともとは、ベトナムが中国に支配される前の紀元前2、3世紀頃存在していた「甌貉国」の都があった場所。 中国に支配される前のベトナムの文化を垣間見ることのできる、ベトナム文化にとって重要な場所である。
香寺
ベトナム仏教の聖地
ハノイ市から南に行ったところにある、「香山」と呼ばれる地域に点在する寺の総称。 ちなみに香山とは石灰岩でできた山が連なる地域である。 ベトナム仏教の聖地として知られており、旧正月には多くの参拝者がこの場所を訪れる。 15世紀頃から建てられ始め、20世紀初めには100以上もの寺社があったといわれている。
天福寺
徐道行という高僧ゆかりの寺
ハノイ市の南西約25キロメートルの所にあるサイ山周辺に点在する、「タイー寺」と呼ばれる寺院群の主寺院。 タイー寺には他にも貝庵寺、頂山寺などの寺院がある。 李朝の第4代皇帝「李仁宗(在位1072-1127)」の時代に建立。 タイー寺は、「徐道行(1072-1116)」という高僧が修行し亡くなった場所として名高く、天福寺には徐道行が祀られている。
胡朝城跡
世界遺産に登録された城跡
「胡朝の城塞」とも呼ばれる、ハノイから南に160キロメートル行った所に位置する遺跡。 胡朝という王朝がベトナムを統治していた時代に建てられた城の、門と一部の城壁が残る。 東西南北にある門のうち南門の規模が最も大きく、門の傍には売店および展示室が置かれている。 展示室の解説はベトナム語と英語。
西方崇福寺
仏教美術の宝庫
ハノイの南西にある「西方山(かつてはカウラウ山と呼ばれた。)」と呼ばれる場所にある寺。 「西方寺」や「崇福寺」とも呼ばれる。 風水書「高王藁」によれば、唐代に生きた「高駢(?-887)」という人物によって建立されたという。
筆塔寺
千手千眼観世音菩薩像が有名な寺
正式名称は「寧福寺」。 阮朝(1802-1945)の第4代皇帝「嗣徳帝(在位1848-1883)」が、本堂の東側にある「報厳塔」の先が筆のような形に見えると言ったことから「筆塔寺」と呼ばれるようになった。